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名古屋地方裁判所 平成4年(わ)444号 判決

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中四七〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

一  被告人退職までの経緯

被告人は、名古屋市熱田区の中学校を卒業後次兄Aが経営する八百屋の手伝等をしていたが、トヨタ自動車販売株式会社で警備員をしていた長兄Bの紹介で、昭和四九年一二月から同社の子会社である有恒不動産株式会社の警備員として稼働することになった。一方、C(大正九年三月一一日生)は昭和一六年から愛知県警察官であったが、昭和五一年四月警察官を辞め、警察時代の先輩が警備部長を務める前記有恒不動産に警備部課長職として入社した。同社の警備部は、親会社であるトヨタ自動車販売の施設の警備をその業務とするもので、昭和五二年四月Dも課長職となり、Cが第一課長として警備員の教育監督、人事等を担当し、Dが第二課長として警備員の勤務割り、報告願いの受理等の庶務、渉外を担当していた。

昭和五一年八月、被告人が同僚の態度に立腹し職場放棄をしたため、警備部内で被告人の処分が問題となったが、結局被告人から始末書を提出することで他に処分はなされなかった。被告人は、昭和五二年八月二四日から同年一〇月二一日までの間、飲酒が原因で桶狭間病院精神科に入院し、同年一一月Cから求められて禁酒や同僚との協調を約する誓約書を提出した上、職場復帰した。被告人は、同年一二月の警備部忘年会の際乱れたこともあったが、昭和五四年三月二二日から再び心神の病気のため約三か月間欠勤し、同年六月Cから求められて、兄B及びAが保証人として立会いの下、今後自己の不注意により健康を害し、会社に迷惑をかけた場合には進退について考えるとの内容の誓約書を提出し、職場に復帰した。

被告人は、昭和五五年六月四日午前一時三〇分ころ、会社に電話をかけ、同日の勤務につき年休を取りたい旨申し出て、その日出勤しなかったため、同月六日Cは被告人から事情を聴取し、被告人が一月半位前から会社との約束を破って飲酒していたこと、前記欠勤前日には妻と口論し、外出して深酒をしたので欠勤を申し出たことの報告を受けた。Cは、被告人が誓約書に違反したことから雇用継続の適否を判断するため前記桶狭間病院に電話して通院状況等を調査し、同月二四日、被告人のほかその妻、兄A、同年四月に就任したE警備部長、C、D第二課長が協議した結果、被告人の改善を期待し、雇用継続させることで決着した。ところが同年一〇月一日、被告人は会社に対し、ここ何日かの心神の不調を訴えて同日の夜勤を休みたい旨申し出たため、CやE警備部長らは被告人の心神の状態を不安視し、被告人の妻や兄Aに被告人の状態を問い合わせたりし、被告人の退職問題が再び浮上した。ここに至り、被告人の兄や母は被告人に退職するよう勧め、被告人は同月七日退職届を提出し依頼退職の形で会社を退職した。

二  退職後の経緯

被告人は、自己の心神の不調は大したものではないのにCが殊更問題にし、自己の身元保証人であり、前記誓約書提出の際にも立ち会っている兄に病気だと連絡して被告人が退職せざるを得ないように仕向けたと考えてCに対し強い不満を抱き、同年一一月同人に対し電話で抗議したばかりでなく、昭和五六年七月一二日には酔って名古屋市瑞穂区村上町〈番地略〉所在のC方居宅を訪れ、玄関や応接間の硝子に投石したが、Cが告訴を思い止まったため刑事事件とならなかった。被告人はその後もC方に電話をかけるなどして嫌がらせを続け、昭和五七年一二月一六日にはC方居宅の庭の松の枝を鋸で切り落としたため現行犯逮捕され、昭和五八年二月二四日名古屋地方裁判所で器物損壊罪により懲役五月に処せられ、同年六月二七日満期出所した。

Cは、昭和五〇年から一戸建ての前記居宅(昭和六二年から六三年にかけて二階建てに増築)に妻F(昭和二年四月二五日生)と二人暮らしであったが、昭和五九年三月末で有恒不動産を退職して無職となり、他方同年四月から長男G(昭和二五年二月一六日生)とその妻H(昭和三〇年二月二八日生)、その長男I(後記犯行当時小学校三年生)、長女J(同、幼稚園児)が右居宅に同居するようになった。被告人は、昭和四四年Kと結婚し昭和四八年長男を儲けたが、昭和五九年六月同女と協議離婚し、長男も同女が引き取った。被告人は、同年夏から秋にかけてC方に嫌がらせ電話を執拗にかけ続け、昭和六二年一月一六日にはC方居宅の屋根瓦一〇八枚を剥がし投げ捨てる等して現行犯逮捕され、同年三月一一日同裁判所で住居侵入、建造物損壊の各罪により懲役一年に処せられた。被告人は、昭和六三年三月一日満期出所したが、出所当日早速C方に出向いて出所したことを知らせ、以後頻繁にC方付近を徘徊したり嫌がらせ電話をかけたりし、同年七月にはC方向かいの駐車場を借り受け、廃車を持ち込んで車内で寝泊まりしてCに自己の存在を殊更誇示した。なお、同年の三月から六月にかけて、Cは、三〇〇〇円から二万円の範囲で数回被告人に金をやったり、被告人を近くの喫茶店に連れて行き、飲食代金を負担してやるなどして、被告人の嫌がらせを止めさせようと懐柔策を取ったが、成功しなかった。同年七月二七日、被告人は、車内で寝泊まりしていることに気づいた駐車場の貸主から契約違反として退去を求められ、これをCの差しがねと邪推して直ちにC方玄関先に怒鳴り込み、玄関戸を足蹴りするなどしたためまたもや現行犯逮捕され、同年一二月二三日同裁判所で住居侵入罪により懲役八月に処せられた。被告人は、平成元年七月二四日満期出所後も、C方付近に訪れ、周囲を徘徊したり、怒鳴り声をあげたりして、Cに対する嫌がらせを続けたが、平成三年五月一日には、毎日Cへの嫌がらせをしようとの考えから、C方西約三〇〇メートルにあるアパートに転居するとともに近くの建材店にダンプ運転手として就職した。

C及びその家族は、被告人のこのような嫌がらせ行為のため、被告人から危害を加えられるのではないかとの不安を覚え、なるべく一人では外出しないこと等を家族内で申し合わせたり、被告人の行動をノートに記録し、不穏な言動があったときは、すぐ警察に連絡する等の対応をしてきた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  前記有恒不動産株式会社を退職せざるを得なくなったのは、当時の上司であったCの策略によるものであると思い込み、同人に嫌がらせをして報復しようと企て、そのため同人がノイローゼ等の心神の異常を来してもやむなしと考え、平成三年五月二日頃から同年一一月二五日頃までの間、名古屋市瑞穂区村上町〈番地略〉所在の前記C(当時七一歳)方前路上やその周辺において、ほぼ連日にわたり付近を徘徊して自己の存在を顕示した上、同人方に向かって、「C出て来い。」、「ばかやろう、ばかやろう。」、「どろぼう。」、「やい、ギャアー。」などと怒号し、C方前道路と車庫の段差部分に架け渡した鉄板を足で力一杯何度も踏み鳴らし、ダンプカーを運転して来てC方玄関先で急停車や空ぶかしを繰り返したり、殊更に自転車のスタンドを地面に打ちつけ、あるいは自転車のベルを鳴らすなどして騒音を発するなどし、これら一連の嫌がらせ行為によってCに著しい精神的不安感を与え、よって、同人に入院加療約三か月間を要する不安及び抑うつ状態の傷害を負わせた

第二  平成四年二月一六日午後七時一〇分頃、前記C方前路上においてインターホンを押して嫌がらせをしたところ、Cの長男Gから叱責されて激昂し、C所有にかかる同人方鋳物製出入口門扉(時価約五万円相当)を足蹴りするなどして破壊し、もって、他人の器物を損壊した

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(当裁判所の判断)

一  弁護人は、判示第一の傷害罪について、①被告人には傷害罪の故意がなく、②被告人の行為は傷害罪の実行行為には当たらず、③傷害の結果が発生したとする証明がなく、④傷害が発生しているとしても、被告人の行為と右傷害との間には因果関係がないとして無罪であると主張しているので検討する。なお、被告人及び弁護人は、外形的行為の一部を否認し、また動機を争っているが、当裁判所は、右の各点については、前掲各証拠により判示のとおり認定したものである。

二  故意の有無について

被告人は公判において傷害罪の故意を否認する供述をしているところ、なるほど本件において被告人に傷害の結果に対する確定的故意を認めるだけの証拠はない。そこで、未必的故意があったか検討するに、(1)被告人は前記の認定のとおり、本件の犯行以前にも執拗にCに対する嫌がらせを行い、そのため過去に三回も服役したのに懲りることなく、なおも執拗に判示第一の犯行を行っており、Cに対する敵意はそれだけ強いものであったと解されること、(2)被告人の判示第一の犯行は健康な通常人であっても相当大きな精神的負担となり、蓄積すればストレス性疾患を惹起するに足りる悪質なものであり、それが過去に警察官をしていたといってももはや社会の第一線から退き、高齢となったCに対し加えられていること、(3)それによるCの精神的負担の大きさは被告人にも容易に推測できた筈である(前記のとおり、Cが以前それより程度の軽い嫌がらせに対しこれを止めさせるため被告人に金を与える程に参っていた経緯もある。)のに、被告人はCに過度の負担にならないような何の配慮もしておらず、また前記の犯行に至る経緯に照らせば、Cがストレス性疾患で苦しむことはむしろ被告人の望むところと一致すると解されること、(4)関係各証拠によれば、被告人は、平成三年一〇月中旬頃、Cの知合いからCが入院したことを聞かされたのに、これを意外として犯行を中止することなく、むしろ入院先に赴くためCの妻から入院先を聞き出そうとし、同年七月中旬頃には自転車に乗っているCを見かけ、自分が運転する自転車をわざとC運転の自転車にぶつけて転倒させ、Cが苦痛を訴えて起き上がれずにいても放置し、同人が受傷することを認容する態度を示したこと(この点について、被告人は、むしろCの方からぶつかってきたと主張するが、ただでさえ被告人と関わりを持ちたくないと考えているCの方からそのような挑発的態度に出たとは到底解せられない。)が認められること、以上の点を勘案すれば、被告人は判示第一の犯行当時、Cがストレス性疾患に陥ることを予見したうえでそれでもかまわないとして犯行に臨んでいたものと考えることが自然である。

他方、被告人の捜査段階での供述調書を見ると、被告人の判示第一の犯行によって「Cが夜眠れなくなったり不安な気持ちで気分がすぐれないというようなことになってもそれは自業自得でやむを得ないことだと思っていました。」(検察官調書)〔乙10〕)、「Cは夜眠れなくなったり不安な気持ちで体調が悪くなりノイローゼ気味になったそうですが、それは私が嫌がらせをやったことが原因だと思います。Cがその程度の病気になったとしてもそれは自業自得でやむを得ないことだと思っていました。」(検察官調書〔乙11〕)とあるところ、この供述内容は前記理解と一致するものであり、またそれらの供述調書の他の記載内容からして、被告人は自己の信念に基づき供述しており、捜査官に迎合的に調書作成に応じたものではないことが認められるから、右供述内容は信用できる。そうすると、本件においては、被告人に傷害罪の未必的故意があったものと認定でき、この認定を左右するに足りる証拠はない。

三  実行行為性の点について

傷害罪の実行行為とは、人の生理的機能を害し又は身体の外貌に著しい変更を加える現実的危険性があると社会通念上評価される行為であり、右生理的機能を害する手段については、法文上の限定がないこと等から、物理的有形力の行使のみならず無形的方法であっても差し支えないと解されるところ、心理的なストレスが原因で精神的障害が生じ得ることは証拠上認められるし(証人奥村透の公判供述等)、人が発する音や人の動作が他人の心理的ストレスを生じさせ、とりわけそれが同一の人に対して繰り返しなされる場合には強度の心理的ストレスとなり得ることは経験則上明らかである。

判示第一の被告人の一連の行為は、約七か月間の長期間、ほぼ連日にわたって、被告人がC及びその家族に向かって、声その他の音を発することなどの威嚇的動作によりなされたもので、これはC及びその家族の心理的ストレスを生じさせ、更には精神的障害を生じさせる現実的危険性のある行為と社会通念上評価されるものであるから、傷害罪の実行行為に当たるとして何ら差し支えない。

四  傷害の結果発生の点について

1  まず、前掲各証拠によれば、次の事実が認められる。

(一) Cは、平成三年五月二日頃以降、被告人から、以前とは異なり連日のように、判示第一のとおりの嫌がらせ行為を受けたため、憂うつな気分となり、中々寝つかれず、睡眠中も人の足音や風の音で目が覚めてしまうことがあった。Cは、昼間も物音がすると被告人が来たのではないかと思って不安になって外を見たりし、いつも苛々して怒りっぽくなるとともに、食欲がなくなり体重が減少した。

(二) Cの妻や息子夫婦においても、Cの前記のような食欲不振、浅薄睡眠、知覚過敏、易怒傾向などの状態に気づき、同年九月末頃医者の診察を受けるように勧めた。

Cが右のような精神的障害の状態に陥ったのは今回が初めてであった。

(三) Cは、同年一〇月三日木村病院で診察を受け、同月六日から同所に入院したものの、同病院には精神科の専門医がいなかったため、同病院の紹介により、同月一八日名古屋市立大学附属病院で精神科医清水将之の診断を受け、不安性障害と診断され、同医師より入院を勧められたがベッドに空きがなかったため通院治療を受け、その後ベッドが空いたため同年一一月二六日同病院精神科に入院し、同日同科医師奥村透の診断を受け、同医師は被告人の病名を「不安及び抑うつ状態」と診断した。Cは、入院したことにより被告人の嫌がらせ行為を直接受けることがなくなり、また奥村医師から抗うつ剤、抗不安剤等の薬物の投与を受けたことから、不眠の状態が次第に改善され、抑うつ気分や不安感が次第に減少して行った。奥村医師は右の薬物療法の他にCに対しカウンセリングも実施した。

(四) Cは、症状が改善したため、平成四年三月三日右病院を退院し、その後も一、二週間に一回位同病院に通院し、処方された薬の服用を続けた。

2 傷害罪にいう傷害の結果とは、人の生理的機能を害することを含み、生理的機能とは精神機能を含む身体の機能全てをいうと解されるから、Cに対し「不安及び抑うつ状態」という医学上承認された病名に当たる精神的・身体的症状を生じさせることが右の傷害の結果に当たることは明らかであり、その治療のために入院加療約三か月間を要したことは右認定のとおりである。

関係証拠によれば、Cを診察した前記奥村医師は、入院時にCが訴えた症状が「不安及び抑うつ状態」にある患者のしばしば訴える症状と一致していたことや、いわゆるCT検査の結果Cの脳に器質的な異常を窺わせる異常はなかったこと、Cに対する問診により同人と被告人との長年にわたる確執を認知したこと、被告人の嫌がらせ行為が昭和五六年以降繰り返された状況は、誰が見てもストレスになるであろう状況と判断したこと等の根拠に基づいて、前記病名の診断に至ったものであり、前記清水医師も奥村医師とほぼ同様の病名を診断したことの事実が認められ、これを専門家の医学的な判断として取り扱うことに合理的な疑問を差し挾むべき事情は存しない。前記の認定のとおり、被告人の嫌がらせ行為から隔離することや薬物療法によってCの症状が改善されたことも、同医師の診断及び薬物の処方が正しかったことを裏付けるものである。

3  なお、弁護人は、Cの症状は老齢であることに起因する疑いがある旨主張するが、関係証拠によれば、CT検査の結果Cの脳に小梗塞(ラクナ)が認められるものの、それは同人の年齢からして正常な範囲内のものであり、奥村医師は右弁護人の主張を明白に否定していることからして、弁護人の右主張は採用しない。

4  したがって、Cに傷害罪でいう傷害の結果が発生したと認められる。

五  因果関係の有無について

1 因果関係の有無については、条件関係の存在を前提として、我々の社会生活上の経験に照らし、通常その行為からその結果が発生することが相当と見られる場合に法的意味での因果関係の存在が認められると解されるところ、右相当性の有無を判断する基礎としては、行為の際に通常人であれば知り得たであろう一般的事情のみならず、行為者が特に知っていた事情をも考慮すべきである。ところで、被告人とCとの間の長期間にわたる人間関係の詳細を、右関係の当事者である被告人が十分知っていたことは明らかであり、被告人は平成三年五月二日頃以前の時期における右人間関係の中でCが心理的ストレスを受けていたという事情をも知っていたと推認することができるので、相当性の有無の判断は、右事情をも考慮してなされるべきである。

2  本件について因果関係の有無を検討するに、前掲各証拠によれば、被告人の嫌がらせ行為が昭和五六年以降繰り返された状況は、Cの努力では改善できない事態が長期間継続した状況であり、前記のとおり奥村医師は、その状況を捉え誰が見てもストレスになるであろう状況と医学的に判断したこと、解決できない問題に直面してそれに対する能動的な方法を見出せない状況に長期間置かれた者が抑うつ状態に陥ることは医学上首肯できること、被告人がC方近辺に転居して来た平成三年五月頃から、被告人の嫌がらせ行為の対象がC本人にとどまらず家族にまで拡大し、行為がなされる頻度もほぼ毎日というように高まり、行為の内容も多様化したこと、Cは、自分のみならず家族にも危害が及ぶことを非常に恐れ、また被告人の怒鳴り声や前記鉄板を踏み鳴らす等の様々な態様で発せられた騒音を近所迷惑として非常に負担に思っていたこと、Cはこれまで精神的疾患に罹患したことがなかったのに、被告人が判示第一の犯行を開始したやや後である同年夏頃から食欲不振、不眠等の症状が家族の目にも明らかな状態となり、結局前記認定の精神的障害の状態に至っているのであって、被告人の犯行以外に右障害の原因と考えうるものが見当たらないこと(他には原因として加齢によるものが一応考えられるが、前記のとおり奥村医師はこれを否定しており、その判断は採用できる。)、被告人の嫌がらせ行為からの隔離と薬物療法によってCの症状が改善されたこと等の事実が認められる。これらの事実を前提として前記基準に従って判断すると、被告人の行為と本件傷害の結果との間には、条件関係のみならず、我々の社会生活上の経験に照らし、通常当該行為から当該結果が発生することが相当と見られる関係があるといえるから、因果関係の存在を肯定できる。

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和六二年三月一一日名古屋地方裁判所で住居侵入、建造物損壊の各罪により懲役一年に処せられ、昭和六三年二月二九日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した住居侵入罪により同年一二月二三日同裁判所で懲役八月に処せられ、平成元年七月二三日右刑の執行を受け終わったものであって、右各事実は前科調書(乙14)及び判決書謄本二通(乙16、17)によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は包括して刑法二〇四条に、判示第二の所為は同法二六一条にそれぞれ該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、前記の各前科があるので同法五九条、五六条一項、五七条により判示各罪の刑についてそれぞれ三犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中四七〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件各犯行の動機は、被告人が有恒不動産を退職したことにつき被害者に非があるとして被害者に対し強い恨みを抱いたことにある。弁護人は、被害者が被告人に対し、今後誓約事項に違背した場合は退職する趣旨を含む誓約書を徴求したことは、就業規則に根拠のない不当な行為であり、被告人の退職は自発的な形式をとっているものの、右の誓約書があるため不可避的に行われた一方的なものである旨主張するが、前記認定のとおり、被告人には職場放棄の非違行為もあり、飲酒が原因で欠勤する状態となっていたのであるから、他人の生命や財産の保全という警備員の責任の重大さに照らし、その人事事務に携わっていた被害者が、被告人の職場復帰に際し前記のような誓約書を求めたり、会社との約束である禁酒が守れず、またもや心神の不調を訴えた被告人の病状に重大な関心を抱き、被告人の職場適性の判断要素とするため家族の者と連絡を取ったとしても、それは管理職として当然の行動であって、何ら非難されるべき筋合いのものではない。被告人は、保証人である兄からの勧めを受け、自ら退職届を書いて会社に提出することにより自主退職したものであり、その行為が他に方法のない不可避的なものであったとは到底解せられない。結局、当審における証拠調べによっても、被害者にはさしたる落ち度は認められないものであるし、被告人が退職に不満であれば民事訴訟等の適法な手段を取るべきであって、そのような手段を取らず本件の犯行に及んだ動機には酌量の余地が乏しい。

判示第一の傷害罪は、約七か月間の長期にわたりほぼ連日、被害者方前で騒音を発する等の一連の脅迫的行為を繰り返し、被害者に入院加療約三か月間の傷害を負わせたものであり、通常人からは理解されない独自の信念に基づく執拗かつ悪質な犯行であるし、判示第二の器物損壊罪もその一連の行為の延長として行われたものである。第一の犯行により被害者が負った精神的障害は重大であり、第二の犯行により生じた財産的損害も小さくないにもかかわらず、被告人は、非難されるべきは被害者であるとして依然として自らの非を認めておらず、したがって再犯のおそれも大きく、被害者の厳しい処罰感情も理解できる。また、被告人には、前記認定のとおり、本件の被害者に対する犯罪で過去に三回服役しており、刑による矯正効果があがっていないこと、本件で服役した後も社会復帰のための適切な監督者がいないこと等の事情も考慮せざるを得ない。

以上からすれば、被告人には厳しい非難がなされるべきであり、他方において、結局は被告人も被害者に対する嫌がらせに終始した期間自らの人生を浪費したのみで何ら得るところがなく、取り返しのつかない損失を被ったものとの理解もできること、本件の被害者絡みの事件を除けば、大した前科もないこと等被告人に有利に斟酌すべき事情を十分考慮しても、主文の量刑はやむを得ないところである。

よって、主文のとおり判決する(求刑 懲役三年)。

(裁判長裁判官土屋哲夫 裁判官政岡克俊 裁判官神山千之)

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